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2016年1月31日日曜日

慣れという言葉

とある転職をした方の書き込みにいろいろ考えさせられた。

『この先、いまわからないことがわかるようになっていき、いまできないことができるようになっていく。いまないものが無意識である状態になるってことは、いまよりも容量がおおきくなるわけで。それって、試練への緊張で胃がキリキリしながらも脳が呼吸できないってほどいっぱいいっぱいになって悲鳴を上げながらも、「希望」という名のまだ見ぬ世界にわくわくしながら想いをよせ行動し続けた先にしか味わえない感覚やなと。あと、どれだけ早いペースでその感覚を味わい続けられるかも大切で。一回り大きくなるのに5年かかったら意味がないわけで。毎日のマイナーアップデートがあるなかで、数ヶ月に一度メジャーアップデートを自分で感じられるくらいにはなりたい。』

んー。
無意識でできるように繰り返し鍛錬すること、これは自分でも心がけてるつもりだ。
ただ、数ヶ月に一度メジャーアップデートというのは性急すぎる気がする。
試練を乗り越えて、諦めずに思い続けて、行動し続けた先にしか見えない景色はあると僕も信じる。
ただ、その鍛錬から来る慣れというものは、同時に、思考停止を呼び込むものでもある。
昨日よりも今日、今日より明日、少しでも前進すると同時に、自分の行動が目的に向かっているものなのか、更にその興味の対象をより深く、より豊かにする広がりを意識すること。昨日より今日、今日より明日が興味深い一日となるよう日々を過ごそうと改めて思わされた。

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