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2013年7月27日土曜日

選挙総括

選挙区も比例も投票した候補、共に落選。
なんか、こうなるとすっぱり割り切れる。
自分の意思は100%切り捨てられた民意なのであると。

渋谷で選挙フェスなんてのをやってた、三宅洋平は言っていた。
「コミュニケーションとは双方の誤解と自己解釈の連続の上に成り立っているものだ」と。
民主主義は多数決じゃダメなんだ。
意見なんて違って当然なんだ。
だからこそ、終わらない戦争に懲りた人間は、平和的解決のために、
「民主主義、議会政治ってやつを発明したんだ」と。

新聞の見出しでは「ねじれ国会解消」なんて表現が並んでる。
なんだか肯定的な表現になってるけど、これっていいことじゃないはずだ。
参議院が衆議院の、衆議院が参議院のチェック機構として働かなくなることは二院制の意義の一つを失うこと。
無駄に何でも反対してたのは、その時の議員の質が問題なだけで、意見が異なってすんなり審議が通らないことは問題ではなくむしろ機構が正しく機能しているということのはずだ。
少なくとも、自分はそう習ったよ。

民主党政権では同じことを自民党だってやっていた。
一番重要な自分達の政治家としての資質がクソなこと(誰もが納得せざるを得ない法案作成能力の欠如、ただ政略のためになんでも反対する理念の無さ)を置いといて、都合の良い「ねじれ国会」なんて言葉を作り出して、意気揚々とばらまき、情報を操作している。

議員にもその支持者にも「反対するなら対案を出せ」っていう人がいる。
それは違う。
現状を改善する議論の場で、改悪する案が出された時は対案が無くとも「そんな法案は採用すべきでない、まだ現状維持の方がましだ」と言うことの何が間違ってる?

とまあ、ここまで負け惜しみを並べたけど、こんな結果わかってたことなんだ。
メーカーで商品を売るために
消費者の購買意欲を刺激すること、世論を煽動して操作することなんて簡単なんだ。
コンシューマー商品を扱ってりゃいつもやってることだ。
しかもそのための予算が一企業の一製品での予算に比べたらとんでもない額が扱える。

小選挙区制になって数の暴力をふるうことが容易になった今、烏合の衆が形成されることで、逆説的に個の力でコントロールすることが容易になっている。
どこまで勉強不足なのか、能力不足なのかすらもはやわからないトップはほかっといて、こうなった以上、石破茂という政治家にどれだけの先見性と理性、胆力があるかにかかっていると僕は思っている。

2013年7月20日土曜日

にっけいしんぶん

電車で1時間くらい座って通勤してるわけですが、車内の人々を見ると、通勤時間は日経の朝刊を読んでる人が多い。
いまどき、日経をバカの一つ覚えで。。。と思ったりするけど、
日本のサラリーマンに植え付けられてる日経信仰というのは根深いよね。

でも、新聞の朝刊記事の締め切りは、たいてい1:45。
6時ごろの電車だから、既にそこには4時間の空白の時間が生じている。
今や、世界ではドルの一人勝ちで、すべての通貨がドルの影響をもろに受けるような状況になりつつあることを考えると、NY市場が動いている日本時間の5時までのニュースって重要だ。

だから、日経を必死に読むサラリーマンたちを見て、さえないな、と思う。
ブルームバーグとかアメリカ発の媒体を見るか、ネットでリアルタイムな情報入れていかないと、かなり短期間でドラスティックに動いてる現状から取り残されちゃうよ。。。

2013年7月19日金曜日

和室でぐびぐびスリランカナイト

小田原になんだか旨いスリランカ料理の店があるという。
西湘の旨いもん感度の高いシオヤさんからそんな話がある。
農太郎君の畑でもぎたてパクチーをのせて食べたビリヤニも参加者が声を揃えて旨かったと言う。
そんなスリランカ料理店「ラーワニヤ」には2階があり、そこで宴会ができるそうな。
それならと、そこでシオヤさんがビールをぐびぐびしながら、スリランカ料理を食べる会をするという。
それは行かずにおくべきか、ということで、週のど真ん中平日の夜にも関わらず、行ってきました。
しかも、小田原から車でピックアップしてもらったんだけど、小田原駅からも結構ある。
こんなところで、スリランカ料理とは。。。

そして本日のパーティーメニューがこちら。

16品中8つがカレー、カレー味の調理が4つ。
そして、ビュッフェ方式。
THE昭和の家の2階といった趣の部屋で、スリランカ料理のビュッフェ。
斬新。

いや、でも味は間違いない。
確実に現地で食べていた飯より旨い。
ルーをすくってみると、スパイスが結構入ってる気がするんだけど、熟す前のフルーツや木の実が入ってることでスパイス控えめに感じる。
カレーはカレーでもインド料理とはやっぱり違う。

カシューナッツのカレーが一押し。

シオヤさんによると、SNSなんかが世に出る前にインターネット上で小田原のヤオハンで売ってるフィッシュカレーパンが妙に旨いと話題になっていたらしい。
そのカレーパン作ってたのが、ラーワニヤのご主人みたい。
どうやらスリランカから日本に来てずっと小田原近辺に居るみたい。

うん、旨かった。
でも、ちと遠い。。。

2013年7月8日月曜日

数値化について思うこと

急に暑くなった。
関東内陸部では37℃とか、言ってるらしいけど、正直、新聞もTVもない我が家ではあまり興味も無いし、知らない。

そういう話をすると、うちの親なんかは、新聞くらい読め、ニュースくらい見ろ、と言う。
意見が平行線をたどることはわかってるので、適当に流すけど、それに何の意味があるのだろうか?と思う。

数値化するということは、ものごとを理解しやすくするため、あるいは、それをもとに未来や過去を予測、推測するために行うものだと思ってる。

だから、統計的、科学的に定性的な評価ではなく、定量的な評価するというのは理解できる。
が、今日の最高気温が何度だったか一般人が知ることにどんな意味がある?
「今日37℃でした」と言われて、大多数の人は「やっぱ、暑かったもんね」と納得する、あるいは、数値を見て暑さが増幅される。
そんなくらいだったら、見ない方がよっぽど良い。

だいたいさ、暑いか寒いかなんてその人の主観であって、同じ気温であっても体感は違う。

同時に、暑さ、寒さに対する耐性も人それぞれ。
気温の絶対値じゃなくて、気温(湿度なんかの情報も含む)と個々の環境に対する耐性およびその日の体調などの相関関係を以てして、一番良い対応が決まるはずだ。

物事を数値化することで、理解しやすくなると同時にヒトの感覚は衰えていくと僕は思う。

数値化、記号化、シミュレーションってのは人間にとって現象を理解、予測するのにとても便利なツールだけど、それらは目的地に向かって最短距離を目指すようなものだと思う。
でも、実際はそんな単純じゃなくて、予測不能なことがいっぱい起こる。
だから、そういったツールに頼りすぎると、アクシデントに出くわした時、次善の策を選択するのがとても下手になる。
酷いと選択できなくなってしまう。

だから、僕は気象庁が発表する気温や湿度、降水確率とか最近いろいろ増えたなんとか指数みたいなものは興味ないし、見ない。
これまで、トライアスロンやウルトラマラソンのレース中に脱水症状、熱中症に自分がどのレベルで陥るのか、どの程度の塩分を摂取したらもう一度走り始められるか、いっぱい体感してあるから、自分の感性を信じるし、これからもその経験値を積み上げていくつもりだ。

これ、ラグビーの平尾氏の本にも書いてあってすごく同感なんだけど、そういう経験、感覚の積上げが、何事においても、クリティカルモーメントを見極めるのにすっごく重要なんだと思ってる。

2013年7月6日土曜日

いづもやの若旦那とやまけんさんとで鰻について語り合ったこと

昨今、漁獲量が危険水域と取沙汰されている鰻。
これは新聞紙上やら各種メディアでの報道でご存知の方も多かろう。

その割には、何も気にせず皆食べてるし、切迫感も感じられない。
ホントのところ、どうなの?というのをいづもやの若旦那に教えてもらった。

偶然にもつい最近まさにその内容の記事があり、わかりやすくまとめてあるので、
凄くショッキングな話だが、一読いただきたい。
最後を看取る云々は専門家個人の私見ではあるが、かなり説得力があるものと思う。

さて、3人で共通した意見は「日本というのはホントに恥ずかしい国だ」ということ。

本来、資源が穫れなくなってきたならば、それをまず回復させることを考えるのが普通だと思うのだ。
それをこの記事で取り上げているヨーロッパウナギを輸入してみて、結構食えんじゃん、ってことで買い漁る。
挙げ句の果てに自国のウナギよりも先に絶滅の危機に追いやる。
ワシントン条約で規制されると、それにも飽き足らず、東南アジア、アフリカ、アメリカ、オーストラリアから異種ウナギをなんとか使えないかと買い漁っている。

でも、ウナギが無い無い言うけど、スーパーでいっぱい安く売ってるし、牛丼屋でも安く食えるじゃん?と言うむきもあろう。

そこには、現状が正しく伝わっていないという問題がある。
同時に正しく知ろうとしていない消費者の責任もあると個人的には思う。

話はそれるが、自給自足をしたいと思うようになって凄く感じるようになったことがあるのでここで書いておく。
米作りを始める前の自分も含めて、食べ物を金を出せば何でも買えると思う人が近頃あまりにも多すぎる。
そして、もはや、そういう人ばかりになりつつあると言っても良いだろう。
米が、野菜が、肉が、魚が、あらゆる食べ物が、自分の食卓に届くまでのことをあまりに知らなすぎるし、知ろうともしない。
だから金には換えられない食文化や技術、意義、味わいなど多面的要素の存在を認識できない。
食べるということのリアリティを喪失している。

これは、少なからず戦後の日本が経済復興することを何よりも優先してきたことが起因してるんだと思う。
これは、明治維新の頃に反対意見を持った幕末の志士をドンドン排除して、富国強兵を推進し、帝国主義の世の中で列強に肩を並べたかのように見えてしまった、成功体験の錯覚が起因していたりするのではないだろうか?
太平洋戦争後のアメリカの統治戦略が驚くほど効果的だったのかもしれない。
何はともあれ、経済や軍事第一主義で他のことはある程度犠牲にしても仕方ない、そういう考えが、今、より一層蔓延しているように感じる。
まさにその典型の政策が安倍晋三現政権。
ちょうど選挙前だけど、こんな現状を助長する自民党が楽勝ムードなのにはなんだか暗澹たる思いだ。

もう一つ、今後の日本を想像する1モデルケースとして今の台湾がある。
台湾の奇跡と呼ばれるベトナム戦争の頃から、政策として重工業転換の積極的産業政策を取り始めた。
これにより、TSMC、UMCなどの半導体産業やGIANTなどの自転車産業の発達があるわけだけど、その裏では一次産業への補助を打ち切ってそれらの産業に回した経緯がある。
そして今、日本の比ではない自給作物の危機がある。

完全に脱線してしまったが、話を戻して安く売ってるとこもあるでしょ?という実態。
これは、どこが始めたのかは知らないが、どっかのスーパーが始めたベルトコンベア方式の加工業による恩恵ということになる。
ベルトコンベア方式は当然職人が捌いて焼くよりも圧倒的なスピードメリットがある。
これにより大量に数を捌けることになり、圧倒的な数の力で値を下げることができる。
一旦は。
これに対して、鰻の特殊性だけど、養殖と言っても、孵化をさせて数を増やすということが現状実現していない。
つまり、スタート地点である稚魚の数は増えないのに、捌ける成魚の数が増えてしまったので、鰻の取り合いになる。
結果、どんなに数を引き取ってくれるとしても無いものは無いのだから、価格が上がる。
で、どうするかと言うと、海外から安く輸入してくる、という構図。
近頃ダイエーや西友が国産の安い鰻みたいなのを出してるが、あれもからくりがある。
海外から仕入れたニホンウナギとは異種のウナギであっても日本の池で大きくすれば、それは国産と名乗って良いのだ。
牛肉なんかでも産地に関してそうだけど、ウナギは種も違うわけだから、ちょっと納得できないものがあるよね。
でも、規則上は問題ない。
これらは、企業努力と言えば企業努力だ。
それも間違いない。
でも、そんな効率化、コストダウンが神様なのか?

ここらあたりの情報をひっくるめて、じゃあ、どうしたら良いの?というのを各自考えて行動しないといけない時に来てる。
この意見は3者それぞれだった。
僕は、種を守るためには、減らないように食べるしかない。
それには管理して漁獲量を絞るしか無かろうと思う。
たとえ価格がつり上がってでも。
だって、秋田のハタハタ漁で既に成功体験があるのだから。
いつからかなんだか我慢が出来ない民族に成り下がってしまったけど、日本人はもっと我慢強い民族だと思ってる。
そして、免許制なりにして特定の鰻専門店のみが扱えるようにする。
幸い、鰻は血に毒があるわけだから、規制するには値するんじゃないかなって思う。
だから、僕は職人が一から捌いて、技術の粋を結集して焼き上げる信頼できる鰻専門店で年に一度だけ金に糸目をつけず、その味を噛み締めて頂く。
という態度でこれからもいこうと思っている。