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2012年1月30日月曜日

今日はしょんぼりなのです

入社して約11年。
新規事業企画から立ち上げの部署に5年居て、ぽしゃって解散。
その後5年はLSI開発の部署で、上流から下流まで全部やった。

会社の事業も選択と集中を謳ってるけど、それ以前に仕事が細分化、専門化して一つの仕事しかしない人が多い中、ちょっと変わったキャリアになってる。
ま、アウトプットを出すには非常に効率が悪い経験値の積み方だから、社内でのポジジョンアップには決定的に不利なわけだが。

でも、これって製品開発に行き詰まりを感じる昨今、結構な強みになると思う。
というのも、行き詰まりを打開する大多数の要素として他ジャンルとの融合ってやつがなされるから。
いろんな領域に跨る技術ってやつはいろんな技術領域の知識が必要となり意外とやっかいだから、これまでの経験値が非常に有用になる。
しかも、個人的志向がオールマイティーな何でも自分で全部できる、ってとこだから自分のキャリアプランからも外れてない気がする。

で、LSI開発もそれなりに全ての工程できるようになったから、そいつを使って改めて製品開発を、ってことで昨年秋に部署を異動してみた。
根幹の理由は、人を自分の手駒の一つとしか扱わない上司に「部下も上司を選べる制度がある」と見せつけるためだけど。
しかも、うまい具合に自分が昨年まで開発したLSIをのっける可能性が出てきた部門が公募を出してた。

メーカに入った人間として、自分の開発した製品が世に出ることが技術者としてまず最初に感慨のわく瞬間だと思う。
でも、製品に携わる人たちってのはシステムインテグレートするので精いっぱいだから、やってることは部品を買ってきてそれを組み合わせて要求仕様を満たすシステムを作り上げてるってとこだけだ。
でも、今回その部品の中の一番重要な、製品の頭脳にあたるLSI開発を自分でやって、それを実装した製品を自分で設計して製品化する、というもう二度と巡ってこないであろうチャンスを手に入れかけたわけだ。

だから、この製品出たら、もう会社で電気屋としてやり残したことはなくなるだろうな、って思ってた。
で、今日、そのLSIを搭載しないことが決まった。
いやあ、しょんぼりです。

異動前にはかなり高い確率でそのLSIのっかるって話だったけど、どうやら社内のセクショナルな(政治)力学でなんとなくそう語られていただけらしい。
異動してみると、そのLSI搭載の推進派は一人だけだった。
その人も反対されまくって心が折れていて、最終的に推進派は自分ひとり。
ま、してやったりと思ってたけど、世の中そんな甘くはないっつうことだ。

でもなあ、ホントしょんぼりですわ。

大事なこと

地方競馬から中央競馬に興味が移った、小学校の途中から中学/高校時代、月曜に週刊ブックが出るのが楽しみで、月曜から金曜まで学校で週末のレース展開を何種類も頭に描き、レース展開と勝ち馬を予想することがレース当日よりもずっと大きな競馬の楽しみだった。

大学に入り、バックパッカーをするようになって、旅立つ前にその土地の風土、言葉、民族、歴史、音楽、芸術などを調べて、旅行のシュミレーションをする、そんな準備期間が一番楽しかった。

水泳もトライアスロンもラグビーやサンボの試合も一緒だ。
ターゲットのレース/試合を決めて、練習メニューの質と量をパズルしながらそこに向けてピークを合わせていく、一流選手はコーチがやる仕事だけど、その練習計画を立てる期間ってのは醍醐味だ。

喧嘩も含めて、勝負事はなんでもそうだよね。
事前に自分のこと、相手のことを緻密に調べ上げて、事細かな決まり事を決めてぎちぎちの計画を作る。
頭に叩き込む(体に覚えこませる)。
そして、始まったら頭の中を真っ白にする。

そう、スタートラインに立った時、もう結果は全て決まってる。
あとは頭の中にあるものをトレースするだけだから、とっても楽だけど、あんまり楽しくはない。
唯一、頭を真っ白にしたことで、とっさの判断の自由度を残しておく。
それが、流れを変えられるものを持っているかどうかってところで、数少ない本番の楽しみだ。

一方、準備期間は見えない部分がいっぱいあって楽しい。
けど、つらい。

直感的に準備期間をほとんど設けずに動くことの多い自分も、やはり大がかりな目標を設定した時はそれなりの準備期間を設ける。
そんな時は、意図的なものも含めて、周期的にバイオリズムの波がくる。
自分にとって数少ない長期計画を立てるものは必ず、半年くらい前になって不安になる。
自分には無理なんじゃないか、って必ず思う。
投げ出したくなる。
今、結構そんな時期。
不安が結構襲ってくる。

でも、
負けないこと
投げ出さないこと
逃げ出さないこと
信じ抜くこと
駄目になりそうなとき
それが一番大事

そんな自分に負けそうなよわっちー自分の時は、
こんな軽~い感じで歌われるフレーズでも、
「今日の自分は根性なしですいません」
などと思ってしまうのだ。

2012年1月27日金曜日

自分勝手な人間だもの。。。

昨年末、北海道は別海町に鹿撃ちをしにいった。
別海町は酪農の町。
バイオエタノールの需要増加などから、流通飼料の価格が急上昇し、酪農経営は急速に厳しくなり廃業が相次ぎ、日本の酪農は壊滅的な状況だ。
今回の鉄砲仲間もご多分に漏れず、酪農を廃業して今職探しをしてる人が居た。
産業と言えば、酪農かわずかな海沿いの漁業くらいしか無い町だから後継者がいなかったわけでもなく、本当に経営が厳しいということだ。
どんな産業も今や厳しいのだろうが、こうしてこれまで一筋でしてきた仕事をやめた人たちが、つぶしがきかず、労働力として六ヶ所村や東海村など各地の原発施設に雇われていたんだよなあって思う。
今、原発を再開しないとした場合、この弱者の立場の人たちからきられることになる。
放射能汚染度の低い地域に住んで「電気必要、原発止めるな」と主張する人も自分のことしか考えていない人たちだけど、「原発即刻止めろ」とだけ唱える人もそれが毎日3食食べられる裕福なその人の生活からきた自己満足な考えだとは自覚してないんだよな。


じゃあ、お前はどうなんだ、というと、
僕は自分勝手で自分のことしか考えてない人間だから、改めて「原発即刻止めろ」と主張し、明日会社からリストラを宣告されて放り出されても構わないよう、自己循環型自給自足への道に向けて今まで通り進んでいこうと思っている。

2012年1月25日水曜日

涙をぼろぼろと流しながらつけ麺を啜る夜

今、風邪をひいている。
それも、声が出なくて筆談するほどに。
鼻水が出続けて、がっちり詰まっているから口呼吸になり、喉が乾燥して一向に良くなる兆しをみせない。

風邪で病院に行くという発想がなかったので、龍角散を飲んで数日過ごしてた。
今日は折角ノー残業デーなんで、もう一週間もこうだからさすがに帰りに病院に寄るか、となった。
会社を出る前に蒲田近辺の内科を調べる。
口コミで上位の数件をチェックしてgo。

1軒目の病院で保険証を出して風邪をひいたみたいで、とかすれ声で言ったところ、
「本日は精神科の治療になっておりまして、内科の診療は火金になります」と。。。。
「スミマセン、腑抜けた精神を叩きのめしてください」
と言いたいところだったけど、思いとどまる。

仕方なく、2軒目、3軒目を調べるとどちらも18時まで。
今、17:50。
場所は京急の蒲田駅の方。。。

諦めた。。。。

そんなわけで、自宅近くの駅まで来て、本日1度目の夕食を。
ちなみに、夏の挑戦に向けて昨年秋頃から一日に2度夕飯を食べる習慣になっております。

これだけ鼻が詰まっていると味がわからなくて何を食べても一緒だ。
それで駅近くのつけ麺屋へ。
選んだ理由は店主には申し訳ないが、生ニンニク絞り放題の店だから。
どうせ味わかんないんだからと絞りも絞ったり、生ニンニク6個。
さすがに、ニンニクの味、かほり、どんなに鼻が詰まっててもしましたYO。
やり過ぎた。
食べながら、玉ねぎ切ってるときくらい、鼻がツ〜ンとして、涙ぼろぼろ。
喉がやける。

でもね、荒療治だけど、意外と今鼻がす〜っと通ってる。
自分の体にはスパルタ教育の方針なので、これからとどめで二度目の夕飯と一緒に生姜を生で齧って寝る。

2012年1月22日日曜日

地域放送を聞きながら

昼間家に居ると必ず、藤沢警察署による行方不明者捜索に関する放送が流れる。
うちのじいちゃんも晩年は徘徊してよく探しに行かされた。
「痴呆」って残酷な言葉があるけど、そんな一言で表現するのではなくて、あれは違う時間軸に居るんだと思う。
だから過去の思い出には妙に詳細に答えてくれる。
人間誰しも、これまで過ごしてきた時間が頭の中で同時に存在してる中で、僕らは現実の時間である今を選び取って認知して過ごしてるんだと僕は思ってる。
年を取れば取るほど、その並列に存在する時間量が増えていく。
そうしてそれが抱えきれないほどの時間量になった時に現実を認知できなくなるのだとしたら、自分のキャパとあとどれくらい生きるのかを思い、何だか怖くなる。
一方で、多くの時を過ごしてきて、かつて過ごしたそのおびただしい時間に埋没して、それらが同時に同レベルで存在する、そんな実は素敵な現実の中に居るんだとすると、またそれもいいかな、なんて思ったりもする。

天気が悪くて、と言い訳してなんだか無為に一日を過ごしてしまった日は、辛いことや厳しいことがあった日よりもずっとつらい気持ちになる。
人生は何かをしたという記憶より何かをしなかったという記憶の方が色濃く残る。
見たものより見なかったもの、食べたものより食べなかったもの、行った場所より行かなかった場所、そして充実した日より無為に過ごした日、、、

かつて過ごしたおびただしい時間にもしも自分が埋没したとき、多くの高齢者がそうであるように少なくとも、穏やかに、和やかに充実した日々に包まれていられるよう過ごさねばと今日を反省するのであった。

2012年1月19日木曜日

要望と探索

今の部屋、
通勤時間がかかるのは覚悟の上なので、
それを除けば、
海も近く、
プールも備えた運動公園が近所にあり、
部屋は広くて安く、
街の雰囲気も悪くなく、
高い建物が少なくて空が広く、
富士山がでっかく見え、
海に沈む夕陽がきれいで、
つまり、
かなり気に入ってるわけだが、
難点を言うと、
近くに銭湯が無いこと、
そして、
近くに閲覧室を備えた図書館が無いこと。

家にはいろんな本を広げて作業できるような机が無い。
図書館でできるなら買わなくても良い。

徒歩10分ちょっとの最寄駅近くに市民図書室を発見して行ってみたら、自分の蔵書の倍程度の本しかなくて、座るところもなし。
狭っ、というものだった。
検索してみると、自転車で20分ほどのところにどうやら80席一般閲覧席を備えた市民図書館があるらしい。
今度そこ行ってみますかね。
徒歩3分で久が原図書館があった前の家が懐かしい。。。

集中力

泳ぐにしろ、走るにしろ、漕ぐにしろ、僕は無の状態が一番集中していい練習ができる。
が、そんなことは滅多になくて、いろいろと思考が動く。
でも、一つのこと(同じこと)についてずっと考えていられれば、そこそこ集中して練習できる傾向にある。
今日は耐乳酸メニューの後、苦手なキックの練習とした。
今回はトライアスロンの頃のように「足を残すため1ビートで泳ぐからキック練習なんていらない」とは言ってられないから。
寒い中、とにかく体を動かす努力をして体を温めないともたなくなる。
スイミングスクールの頃からキックが苦手でいつもインターバルで回れず、酷いと周回遅れしてた。
今日はスイミングスクールのビート板に関して思い出してた。
小学校4年くらいの頃、突如ビート板に絵が描かれて、選手コースの人にはその人専用のビート板が提供された。
自分で購入するプルブイ、パドル、フィンにプラスして自分の持ち物としてそれは倉庫に置かれた。
当時(から?)、僕は耳がでかくて目立ってたので、僕のビート板には、ナンデスカマンが描かれた。
キックが嫌いな僕は、当時ナンデスカマンが大嫌いになった。
妙に懐かしくなって「誰々は○○だったなあ」とかまでは良かったけど、「あれっ、あいつは何だったっけ?」に思いが及んだ途端「あいつ今何してんだろ?」とか考えが発散して集中力切れた。

今日の教訓:
「練習前に思い出せないことに考えが及ばないようにテーマを決める」(結構難しそう)

まあ、本番は一つのことをずっと考えてられるような時間の長さじゃないから、小学校の頃みたいにいろいろ発散して考えながらも一定ペースで泳げる感じにならないといけないんだけどね。

2012年1月15日日曜日

復帰戦

メキシコのタイトルマッチで敗れて7ヶ月ぶりの再起戦。
メインでもなく、登場。
同級生の応援である。

彼の特徴は相手が強くても弱くても戦前の予想を覆す試合をする。
今回の相手は、フィリピンの無名ボクサー。
腹もだぶついてる。
試合終了のゴングとともに相手がガッツポーズしまくっていたことからもわかるように、明らかに不細工な試合。
勝つつもりなく、ただ最終ラウンドまで倒されないことが目的のボクサーにやられた。
大差の判定勝ちではあったものの、老い先短いボクサーのする試合としてはかなりしょっぱい。
これじゃ、次の試合はもう一回ノンタイトル戦ですな。

興行通して、ダウンが一つもなく、クリンチの多い膠着した試合ばかり。
全部フルラウンドでメインが終わったのが22時ごろ。
年末年始に終電を逃した反省と、観戦のテンション低さから申し訳ないが打ち上げは出ずに帰ってきた。

モトキ、次はスカっと勝って飯を食おう。

2012年1月13日金曜日

自分の思いを整理してもらった

今回のドーバーに限らず、自給自足の試みとか何か自分がやってみようと思うことを人に話すと、必ず返ってくる問いが「どうしてそんなことするの?」というもの。
今までは自分でうまく表現できないのと、わかってもらえない諦観から適当にごまかしてた。
でも、北極にだけ行き続ける荻田君からの一言にガツンとやられた。


『「同じところに何度も行くと飽きる」なんていう発想は、通りすがりの観光客が発する言葉だ。 観光地の表面上取り繕ったところだけ見て、「ふーん、あっそう」で帰ってくるのか、一ヶ所に惚れ込んでとことんまで追求するのかの違いだ。「私は世界中の○○カ国旅行しました」なんて自慢したって、「じゃあそこで何を見て、何を感じて、どう思ったんだ」と聞かれて何も答えられなかったら 何の意味も無い。』

スミマセン。
めんどくさくて「どうしてそんな僻地に行くの?」って聞かれると、「同じところに何回も行ったら飽きるでしょ?」なんて言ったりしてました。。。
しかし、おっしゃる通り。
でも、彼と行動の原点になる思いは共通してる気がする。
自分の行動する理由は、「芽生えて」くるのであるんだよね。

ただし、
『彼は初期の「変身願望」にやがて「好奇心」がプラスされていった。 そして今、あらたに自分の中に感じている衝動は「社会性」かもしれない。』
とのこと。
僕より先に彼は次のステップに入ったんだな、って思う。

冒険という行為は単なる自己満足の延長であると思う。
ドーバーを泳いで渡ろうが、エベレストに登頂しようが、北極点まで歩こうが社会に対してはなんの影響もないことで、「やったぜ!」 なんて胸を張ったところで「小学生が道路の白い所だけを踏んで家に帰る」のとさしてかわらない、自分の手が届く範囲の世界だけで話は終わってしまう。

でも、自己満足だから悪いということは決してないんだ。
世の中の多くのことは自己満足から発生していることなのだから。
何かの行為を行い、自分の中で完結させて人生の糧にするということは大切なことだ、とある種自己弁護的だが今でも思ってる。
それが仮に他人にしたら何の役に立たないと思うものであるとしても。
新しい景色を目にする事、すなわち、人生の引き出しを一つ増やす事は必ず生きる上で糧になる。

そして、自己満足の世界でやることだから、極力自分の力のみを頼りたい。
周りからスポンサーを募ったりすれば良いのに、なんて言われるといつも言葉を濁してるのもそういうところ。
端的に言えば、「自己満足だから、自己資金で全部やるのだ」
本番までの練習やコンディショニングは自分で設定してこなしていくし、
本番の補給食だって市販品を使うんじゃなくて、自分で原材料から作りたい。
本当は身につける水着やゴーグル、体に塗るグリース、その他必要になるものも全てできることなら自分で作り出したものだけで行きたい。
だからね、Ustreamで流すなら昨年自分が開発して発売された製品(ネットワークカメラ)を持って行こうと思ってる。
自己満足だから自分が満足できる妥協ラインを越えていかなければやる意味がないのだ。

こういう自己満足の思いに端を発する行動を否定する人ってよく居るけど、そういう人の話を聞くと、話しの帰着先は「愛」とか「勇気」とか「感動」とか耳触りの良い言葉で偽装した自己顕示欲を感じることが多い(多分に思い込みが入ってます)。
一方で、荻田君は今までの思いはそのままに、それに「社会性」がプラスされたんだと言う。
純粋にすごいなって思う。
社会では(特にメーカ内の製品開発の現場などでは)定量的なデータや論理的な言葉が個人の感情・感覚よりも力があると思われがちだけど、いろんな価値は、 個々の主観で考え吟味して選べるものだと思うんだ。
アップル製品なんか良い例だよね。
誰かが求めてることだけじゃなく、自分が大切にしたいことを社会と結び付けて具現化できることって凄いんだ。

でも、無理に自己満足の枠を凌駕いていくように思いをこじつける必要はない。
思いは芽生えてくるものだから。

出発まであと190日。

2012年1月12日木曜日

世の中の流れは蛇行しながらやってくる

昨年(2011年)はスマホ元年と言われる年だった。
そのトレンドはますます加速して、今年は浸透の年となるんだろう。

僕が入社後配属されたのは新規事業を立ち上げる部署。
世の中の電子手帳ブームに乗っかって、うちらしいPDAを出そうというものだった。
Palm、ザウルス、CLIE、、、Windows CEなんてOSも出てきてPDAも広がるかと思われたが、モバイル指向のWindows PCがあっという間にそのパイを奪っていった。
そして、我が身は、、
企画はぽしゃり、部署迷走の時代がしばらく続いたのだった。

今にして思うと、現在のスマホのブームによって登場している各種のデバイスは、このころにNECやシャープ、ソニーといった日本のベンダーがやりたかったこと、そのものなんじゃないかな。
つまるところは早すぎたということだ。
携帯電話の浸透から電子手帳とは別の方向にトレンドが移行したのも影響した。
ドコモが始めたiモードはコンシューマを取り巻くコミュニケーション環境を一変させたとは思うが、そのトレンドにデバイスがついていけていなかったんだと思う。
タイミング的にちょっと早すぎたのはもったいなかったけど、このマーケティングがなければ、今のスマートフォンのトレンドも起こっていないにちがいない。
アップルが2007年にiPhoneを出せたのも、iモードがあったからこそだと思うのだ。 

そしてスマホの時代がやってきた。
大型化するスクリーンと高解像度化で、スマホのブラウザもそこそこ満足な情報量を表示できるようになった。
アプリケーションプラットフォームとしても、それなりに実用に耐える。
複数のデバイスがクラウドによって当たり前のように連携している今、スマホのスクリーンはPCのスクリーンを拡張する、インテリジェントなウィンドウだ。
スマホはある意味で、現在のコンピュータの相似デバイスであり、かつて、ノートPCが、据え置き型のデスクトップコンピュータと遜色のない性能を持ち始めたときのことを彷彿とさせる。
当時のノートPCは、常に何かをガマンしなければならなかった。
それは今も同じなのだが、PCとスマホでは、もちろんOSも違うし、そこで走るアプリも異なるが、クラウドのおかげでデータオリエンテッドな環境としては、あまり違和感がない。 
WindowsスレートPCが、なかなか市民権を得ないのも、Windowsそのものが、マルチタッチを前提に作られていないのはもちろん、まったく同じアプリを走らせようとしていることに無理があるからだと思うのだ。
それをいさぎよく諦めたのがスマホであり、自分の立ち位置をよく理解しているともいえそうだ。 
こうして、ノートPCでの改善点がスマホで活かされてるんだと感じる。

そう考えると、これまで入社以来唯一、実のあることをやった感があるのに封印されてしまった入社後数年間の仕事。
今ならもう一花咲かせられるのに、と思えてならない。
ま、そんなことを言っても仕方のないことではあるのだが。。。

諸説もろもろあるが、今年はPCの存在が再確認される年になるのではなかろうか。
というのも、スマホを使う人が急増し、会社以外ではPCは必要ないと思い込んでいた層が、こぞってPCを求めるようになるだろうから。
スマホBYODの流れができてきているらしいし。
Windows 8も目前だ。
使い続けてきたWindows XP PCも、そろそろお払い箱のタイミングだ。
必然的にUltrabookも市民権を得るだろう。
スマホがPCを拡販する。
ま、昨年買っちゃったんでうちはしばらく買わないけどね。

2012年1月4日水曜日

この正月3日間で学んだこと

・当たり前だが、日が出てれば寒かろうが日焼けしてゴーグル焼けもできる。
・藤沢には銭湯が少ないからか、妙に混んどる。
・管理会社の対応の悪さも家賃の安さの要因の一つ(多分)。
・歳なのか想定したより髪の伸びるのが遅い。

2012年1月3日火曜日

新年一冊め読了

「ドイツで『ダ・ヴィンチ・コード』からベストセラー第一位の座を奪った脅威の小説遂に日本上陸」なんて、宣伝文句を見てずいぶん前に買った。
上中下巻で1500ページくらいの大作に買ったは良い物の積読。
昨年末遂に手に取り、今、読み終わった。

売り上げで比較してんだから間違いじゃないけど、宣伝文句には違和感。
だって、いまさらながらの聖杯伝説や秘密結社のお話な『ダ・ヴィンチ・コード』に対して本作は最先端の地球科学や生物学をモチーフにしてスケールが違う。
上中までは文句なしに面白いのに、下巻になって急に人間臭く下衆になったのが残念。

『人間が知性を認識できる範囲には限度がある。自身の行動の枠組みの中でしか認識できないのだ。枠組みの外、すなわち微生物の中に存在する知性は見逃してしまう。同様に人間の目には、より高度な知性、非常に優れた精神はカオスにしか映らない。その複雑な意義を理解できないからだ。そのような知性体が下す決定も、人間には理解できない。なぜなら、彼らが基礎とするパラメータは、人間の処理能力を遥かに超えているからだ。(中略)結局、私たちの目に神はカオスと映る。それゆえ、神は地元のサッカークラブを勝利に導くことも、戦争を防ぐこともできないのだ。』

ま、そうだよね。と、階下の初詣客を眺めながら思う。
神は人間の願いなんて聞いてくれない。
ましてや、俗物の象徴みたいな賽銭の額なんてねえ。

2012年1月1日日曜日

正月メシ

今年の正月は、鵠沼海岸にて。

朝飯:伏木さんの手羽先発酵だしに俺様の醤油を少々
   そこにうちの米を搗いた餅を焼いて浮かべる。
昼飯:伏木さんの発酵おせち。中身は、
   塩麹漬けの鮭、たらこ、鰆、豚バラ、ごぼう
   いくらの醤漬け、発酵豆きんとん、自家製酢の紅白なます、たつくり、、、、
夕飯:蝦夷鹿シチュー、俺様の醤油をたらしたひょうたんぼ米の焼き餅

6年前、会社を辞めることを反対した両親は、未だ自給生活に対する理解はない。
実家に帰って来たら御馳走が食えるのに、、などと言うが、こっちで食べてる物の方が残念ながらずっと贅沢なのだ。

明日は、箱根応援の前に鹿シチューを小分けにしてそこに餅を投入して煮込んだのを、おせちの残りと一緒にいただくのだ。
帰ってきたら、お米を炊いて、鯛の発酵だしでぶっかけ飯。

1年を振り返る

年が明けたけど、鹿シチューを煮込みながら2011年を総括する。
いろんな言い方ができるけど、やっぱり2011年は2012年の準備の年になってしまった。
それは凄い反省。

まあ、理由はあって、
震災と重なってやって来た肺がん疑惑。
まあ、今も経過観察という位置づけだが、自分の命について今一度考えさせられた。
何事もやる気がおきない期間が一か月ほどあり、いろいろ停滞した。
その後ずっとプールが使えなかったりで正直、昨年の年初よりも泳げない体のままだ。
でも前へ。

本も毎年最低ラインに置いている60冊に1冊届かず。
何年ぶりかに海外にも行かず、たいして仕事に打ち込んだわけでもない。
どちらかと言えば、いつになくさぼった一年だった。
何もかも物足りない一年だったけど、
引越しをして、
部署を自分から希望して異動し、
大きく環境を変えた。
あとはやるだけ。

そんな中、数少ない、今年を象徴できること。
鹿撃ち。
今井牧場や連れて行ってくれた松井さん達、何か今後につながりそうな出会いだった。
しばっちょ、ありがとう。
それから、ねぶた。
山田君ありがとう。

人に世話にならないと前進できてないな。
2012年も各方面にお世話になりながら斜め45度くらいで上を前を向いて進んで行きたいと思いますので、皆様どうぞよろしくお願い致します。