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2012年1月22日日曜日

地域放送を聞きながら

昼間家に居ると必ず、藤沢警察署による行方不明者捜索に関する放送が流れる。
うちのじいちゃんも晩年は徘徊してよく探しに行かされた。
「痴呆」って残酷な言葉があるけど、そんな一言で表現するのではなくて、あれは違う時間軸に居るんだと思う。
だから過去の思い出には妙に詳細に答えてくれる。
人間誰しも、これまで過ごしてきた時間が頭の中で同時に存在してる中で、僕らは現実の時間である今を選び取って認知して過ごしてるんだと僕は思ってる。
年を取れば取るほど、その並列に存在する時間量が増えていく。
そうしてそれが抱えきれないほどの時間量になった時に現実を認知できなくなるのだとしたら、自分のキャパとあとどれくらい生きるのかを思い、何だか怖くなる。
一方で、多くの時を過ごしてきて、かつて過ごしたそのおびただしい時間に埋没して、それらが同時に同レベルで存在する、そんな実は素敵な現実の中に居るんだとすると、またそれもいいかな、なんて思ったりもする。

天気が悪くて、と言い訳してなんだか無為に一日を過ごしてしまった日は、辛いことや厳しいことがあった日よりもずっとつらい気持ちになる。
人生は何かをしたという記憶より何かをしなかったという記憶の方が色濃く残る。
見たものより見なかったもの、食べたものより食べなかったもの、行った場所より行かなかった場所、そして充実した日より無為に過ごした日、、、

かつて過ごしたおびただしい時間にもしも自分が埋没したとき、多くの高齢者がそうであるように少なくとも、穏やかに、和やかに充実した日々に包まれていられるよう過ごさねばと今日を反省するのであった。

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