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2014年12月21日日曜日

自分が育てた稲藁で正月飾りを

「ボクサケの藁で正月飾りを作る」ワークショップをトミケンさんが開いてくれるとのことで、参戦。

備忘録も含めて、記録。

輪部作り

  • 藁の芯部分だけ抜粋して、60本x3束を作る。

   藁の中央で輪ゴムで仮止めした後、根元側10cmで針金で止める


  • しめ縄にする(4人作業)。

   根元側を上にして、3人が各束の根元(針金より下側)を握る
   3人がそれぞれ各束を半時計回りに絞っていく(上の人も半時計方向に回す)
    ※この上の人の半時計回しが甘かったのできれいにいかなかった
   しめ縄の先端を針金で止める
    ※ドアなどにフックできるように輪っかを作りながら止める

  • 輪っか状にする

   「人」ではなく「入」になるように、半時計周りで穂先側が上に来るようにする
    ※「人」にしてしまうとお金が出て行ってしまうとか
   針金で固定

  • ハサミでケバケバを切って体裁を整える

中心縦部作り

  • 藁の芯部分だけ抜粋して、24本x3束を作る。

   藁の中央で輪ゴムで仮止めした後、下から50cmくらいで針金で止める
  • 穂先側の部分を霧吹きで濡らす
  • 三つ編みを16回して針金で上部を止める(3束全て)
   「人」ではなく「入」になるように
  • ハサミでケバケバを切って体裁を整える

ここらでちょっとランチブレイク。



輪っかと縦部の合体
  • 輪の下側(6時の方向)のしめ縄の境目に竹筒を入れる
  • 針金をU字にして竹筒に通す
  • 縦部の1束をビニール傘袋に入れて針金にひっかけてしめ縄を通す
  • 別のねじり目で左右に1束づつ通す
  • 3本の縦部位で1回三つ編み
   「人」ではなく「入」になるように
  • 後ろ側でも1回三つ編み
  • 先端を輪っかの12時のところで針金で固定
  • 縦部の下側を3カ所藁で縛る
飾り付け
  • 紅白のひらひらを「入」になるように重ねて、上辺が平らになるように折り曲げる
  • ひらひらの上辺にセロハンを折り曲げてかぶせてホチキス止め
  • セロハンの隙間に針金を通して、縦部の中央の束に固定
  • 伊勢エビなんかの飾り付け
  • 上を扇形にしたり、ハサミでケバケバを切ったり、体裁を整えて完成。

2014年12月19日金曜日

概念ではなく、リアルに死を感じること

寒い季節がやってくると、荻田氏の北極挑戦が近づいてくる。
2011年から応援してる、今北極点無補給単独徒歩到達に世界で最も近い男と言われる冒険家。
彼の話や文章がこの季節になると、彼の心情、特に複雑な内面を語ることが増える。

これ、ドーバーに向かう時、カタリナに向かう時、そういう時の自分の行動にすごい似ていて、しかも葛藤する内容も似ていてとっても共感する。
例えばそれは、
『我々は、昔の人たちよりもできる事が増えているような気がしているが、その一方でできなくなっている事の方が増えているのではないか!?』
とか、
『20世紀以降の探検冒険登山の世界は、何か「自己啓発の材料」のように利用されている部分はないだろうか?そんなに陳腐なものだったのだろうか?』
とか、
『この(火傷の)跡を見る度に「オレは自分で間抜けなミスをして死にかけて、いろんな人に迷惑もかけてしまった」と反省する事ができます。』
とか。。。。


これって、概念ではなく、リアルに死を感じてるってことなんだろうなあ、って思う。
実際にはまだ日本に居て、まさか今日明日に自分が死ぬとは思ってもいないで過ごしてる。
でも、過去の挑戦から「死」は概念ではなくリアルな手触りのある存在として、常に自分の傍らにあるという感覚が現れてくる。
それは、迫りくる死の危険に対して人間の本能として普段使えていない五感が開く、ということだと思う。

自分のあらゆる感覚が鋭敏になってくる。
以前、とっても共感したのが、日本に帰ってきて電車に乗った時、いろんな広告やら車内放送やら周りの乗客が話すものが全て日本語で理解できてしまって、情報が多すぎて気持ち悪くなったという話。
多分、自分の感覚が研ぎ澄まされていて、情報量にオーバーフローしてしまう感覚なんだよね。

カタリナ海峡に行く直前に、こんなことを書いていました。

「本日、ボクサケ田んぼの草取り&前半戦打ち上げBBQ。
自分の田んぼでも草は取るし、ボクサケ田んぼでも今までも草取りしたけど、なんかいつもより深いところまで自分の為す好意が刻まれる気がする。
ドーバーの前も低体温症の恐怖からそういう過ごし方だったけど、
今回もサメの恐怖から同様の過ごし方をしています。
今やることは全て、人生最後かもしれない。
なんと言うか、自分の感じること、考えることの、ざっくり言うと今生きているということのふちどりがくっきりする気がします。
例えば、事故にあった瞬間スローモーションになると言うように、それくらいいつも濃く生きられたらなって思います。
死を現実に捉えながら、日々を過ごすということの威力と可能性、人間として持つポテンシャルの底知れなさをもっと自分の日々に取り込んで、活かせたら良いのに、と酔っぱらいながら今思っています。」

なにはともあれ、出発日は一日一日近づいてきて、そこまでは彼の場合は資金調達に奔走することになり、気づけば出発直前で、そのころまでに徐々にこういう葛藤はスイッチが切り替わって感じなくなっていることでしょう。

2015年の挑戦も、がっつり応援したいと思っています。

2014年12月14日日曜日

民主主義について思うこと

民主主義の象徴とも言える、多数決。
民主主義ってのを錦の御旗として、それが国の行く末を考えるにおいて本当に良い選択なのだろうか、と個人的に疑問に思う、最近。

だって、多数決による意思決定って本当に成功に結びつく可能性高いですか?
多数決で決めたんだから、と納得してしまっているけど、なんか思ったより結果は悪い方向に行ってない?
むしろあの時皆に同意してもらえなくて、ボツにした案の方が良かったのでは?
という経験ってみんな結構あるんじゃなかろうか?

僕らが遭遇するような仕事の場面での市場の分析や人生の選択なんかよりも国の行く末を考えることってずっと複雑なもののはず。
現代の市場や社会というやつは、「創発性」や「自己組織性」という性質を持つと言われ、明日何が起こるか、全くわからないというケースが結構多い。
だから、思うように動かそうとしても動かない。
今、なんだか電通の戦略を使って、人心掌握してるように見せかけているけど、そんなの所詮国内だけの話。
そして、向かってる方向性が正しいかどうかは人心掌握とは関係ないしね。
これが、何を意味するかと言うと、分析や推理による「将来予測」や「将来計画」が意味を失ったということだと思うのだ。
そして、重要であればあるほど、分析や推理をすることが困難で、多数の意見が成功を保証しない可能性が高い。

「右肩上がり」の高度経済成長と「護送船団方式」の保護規制市場でしか通用しない「合意形成」の幻想なんて捨てるべきなのだ。

ではどうすべきなのか?

分析力や推理力は「一人の個人」が単独で発揮する能力よりも、「複数の人間」が集団で発揮する能力の方が一般的に高いと言えると思う。
一方で、直感力や洞察力については優れた「一人の個人」が発揮する能力の方が「複数の人間」が集団で発揮する能力よりも高いことが多い。
そして、複雑性の高い現代社会というやつは、後者の直感力や洞察力の重要性が極めて高いと思う。

だから極論をすると、議会政治なんてやめちまって専制政治にした方がずっとスムーズに良くなる可能性を秘めていると思う。
その点で、安倍晋三の舵きりは肯定されるべきものなのかもしれないが、その築こうとしている独裁体制を口先では中途半端に民主的にやろうとしているところが、嫌みで滑稽で、しかもそれがへたっぴだから世間にバレバレなのに恥ずかし気も無くそのまま進めてる。
それを置いておいたとしても決定的にダメなのは、重要なところはその「一人の個人」が優れた能力を持っていることが前提なのだけど、安倍晋三という人にはその能力を一かけらも感じないというところだと思う。

そんなことを思った投票日。
今の政権に「No」という意思表示を少なくともするために投票してきた。
やはり2012年に比べて16時現在で投票率は低いようだ。
政権与党に有利な状態。
なんだかいろんな無力感に包まれて、もう寝る。

2014年11月24日月曜日

大人になるということ

僕は何かうまくいかないことがあると、
「こんなことやってても意味あるかどうかわからない」
などとどうしても言い訳ばかりする弱い人間だった。

でも、
「意味があるかどうか」
と
「面白い」とか「やってみたい」
ってイコールじゃないだろ、
って自分の裁量の範囲が広がるにつれて思うようになった。

だから、意味があるかどうかなんて考えないで
「面白そうに思えたことはまずやってみる」
ようになった。

その自分の行動の中に、自分でも気づいていなかった心の奥底が、
その発露として見える時もある。
ちょっとした気づきが、他人から見ても大きな行動の変化になる

それは、恐らく自分の周りに居てくれた人の影響も大きい。

フジメグさんに言われたこと。
「意味あることをするんじゃなくて
 意味あるものにしていけばいい」

最近コバさんがよく言うこと。
「やりたいと思ったことを、
 すぐに行動に移せるようにしておきたい」
例えば、全然知らない国から手紙をもらって、その話が面白いと思ったら、
すぐに面白いと思ったから行きます、と返事を返せるようでありたい。
ガーナからツリーハウスを作る話をもらった時に、そう思ったそうだ。

「大人になる」ということを、
世間では「何かを諦める」というニュアンスでよく使うけど、
そうじゃなくって、
自分の行動を、自分の思うがままに変えていくこと、
僕は、それが「大人になる」ということだと思ってる。

そんな風に思わせてくれた、これまで出会ったカッコいい大人たちに感謝したい、
と思います。

味醂で薬用酒

伏木さんの講座、最後に受けたのが2011年7月みたいなので、3年と4ヶ月ぶりに受けてきた。
お題は薬用酒。

作るのは簡単で、みんなでガシガシ自分にあった薬用酒をいろいろ作ってみようぜ、という流れの実験風のもの。
受講者は僕と、店員の神太郎君と醸せ師の山崎さんの3人。
身内ばっかり。
伏木さんもそれもあってか、テキスト出来てなくて、30分待っててと連絡が入る。


僕が作った4本は、
疲労回復用:ラベンダー、シナモン、クコの実
代謝向上用:花椒、八角、朝天唐辛子、シナモン
二日酔い用:ジャスミン、ペパーミント、カモミール、シナモン
ミネラル摂取:スギナ、びわ葉、生姜

こたつみかんが穫れて、陳皮また作ったら入れても良いな。

写真の浮いてるのが沈んだら呑んでもOKとのこと。
分解を早めたければ、ティースプーン1杯くらいの麹を入れると10倍早いと。
まあ、10倍は適当だろうけどね。

完成したのをみんなで並べて撮影タイム。



妙にクリスマスっぽい。
薬用酒ですけどね。

神太郎君のローズだらけのヤツはすごそうだな。
塩尻の生ワインもいただいてしまい、そこにもいろいろ入れてみる。
そちらは効用というよりは香りを重視して、
白ワインには、レモンバーベナ、レモングラス
赤ワインには、ペパーミント、オレンジフラワー、マリーゴールド
できあがりが楽しみ。

2014年11月23日日曜日

僕の使われなかった人生について考える

大学時代の恩師が還暦を迎えるということで、お祝いの会が催された。
久々の心の、魂の拠り所。



こうして時折訪れること、大切ですな。

還暦と言いつつ、ちゃんと地毛で黒々フサフサな先生は全く60に見えず、若々しさとそのバイタリティに圧倒されたのでした。
奥様から飛んでいた「苦労してないから」という言葉も一つではありますが、
やっぱり衰えない好奇心と思いついたら行動するそのフットワーク、
大学理事という立場と教授として若者に囲まれるその幅広い年齢層に囲まれるその環境が大きいんだろうなあ、と思います。



100人を超えるOBが集まっていたので、ほとんど会の最中は話せなかったんだけど、二次会、帰りの電車で思い出話をしたのでした。

修士2年の時にアメリカで出した論文が、クライテリアを決めるような基礎研究だったので、かなり多くの海外研究者からreferされる論文となりました。
その時のバージニアビーチでの学会でも発表賞をいただいたり、超電導工学というかなり狭い分野ではありますが、それなりの評価を研究者としていただいていた時期でした。
修論に追加で載せるための徹夜実験の陣中見舞いに来てくれた先生が、
「おぬし、就職じゃなくて研究続けてみないか?」
と博士課程を薦めてくれたことがありました。
既に内定者の健康診断まで済ませていた僕は、
「どちらかと言うと、研究者というより製品開発の方が向いてる気がするんですよね」
と軽い気持ちでお断りしたのでした。

その話になって、「いや、あの研究はかなり世界のトップをいってたから残ってもらって力入れて進めたかったんだよ」と懐かしそうに話してくれました。

最寄り駅で先生と別れ、家まで歩く道すがら、あの時、確実に研究者としては世界で闘えていた自分が、会社に入って相応の成果を出せているかを考えたのでした。

あの日軽い気持ちで決断したことで、僕の使われなかった人生はどんなものだったのだろうか、と。あの決断に少なからず含まれていた「超電導じゃ食っていけないでしょ」というのは、確かにはずれちゃいないけど、あの先をもう少し突き詰められていたらどうなっていたか見てみたいな、というのも感じたのでした。

今でも、2001年に書いたその論文はちょいちょいreferされているらしく、僕の研究者時代の勲章と言えます。そして、あの時と同じく自分の興味のあるところに子供のように無邪気に邁進する恩師の姿を見て、まだできていない15年越しの恩返しを何か考えられるんじゃないか、と思っています。

今、先生が胸に秘めている世の中をアッと言わせる計画を微力ながらも何らかの形でお手伝いできたら、それを東京生活の置き土産の一つに追加した夜でした。

2014年11月12日水曜日

カマタマナイト

西湘の美味しいもの番長シオヤさんに企画してもらって、週も前半から大磯で呑む。
うどん屋で。
仲良くしてもらっている山縣さんのお店で。

まずは、シャリキンからのスタート。

キンミヤ、こんなの出してるんですね。
そして、最初の料理がカマタマ。。。
ん?終わり?という感じですが、「シンプルな味なので、空腹なうちにまず一杯食べて欲しい」という山縣さんの思いから。
というわけで、前菜の薬味をのせないプレーンカマタマ。

思い出しただけで、お腹が減ります。
実は、山縣さんの大好きなカマタマなんだけど、カマタマのうどんは茹で時間がかなり短くて、他のうどん類と一緒に作るにはリズムが違いすぎるんだそうです。それでも適当にやろうと思えばやれるんだろうけど、きっと半端なカマタマを出したくないんでしょう、縣さんのメニューにはありません。
そんなカマタマをいただこうよ、という贅沢企画。

続いてきたのは、付き出し3点。


「まるでワカサギのような」いりこの天麩羅、豆腐の味噌漬け、牛蒡のなんだったっけ?
次は、カツオのたたきを山形の納豆ソースで。


ふろふき大根に牛スジトロトロ煮。


圧巻の江戸前穴子。


シャキっとしてるのに頬張るとトロリ。
縣と言えば、の名物かしわ天。


まで来たら、〆うどんです。
〆のカマタマは好きな薬味を好きなだけ。
うりゃー


こんな感じになったヤツに、いりこの香味油をプラスしたら、さらに悶絶度アップ。



完食。


みんなお腹いっぱいのところ、デザートのいりこうどんもいただきました。

満足。

2014年11月11日火曜日

念願のつくしのこ

月曜、半年前から予約してもらっていた「つくしのこ」。
いやあ、素晴らしかった。
そして、あの10人分の鴨鍋。
炊き出しのような量だった。

獺祭のスパークリングでスタートし、
富久長、真の遠心分離、呉の土井鉄
花陽浴、天吹、大典白菊
房島屋、三芳菊、田中六五
悦凱陣、村祐、日輪田

いっぱい呑みました。




2014年10月29日水曜日

朝活で話せそうなネタ

まずは、純粋にドーバー海峡横断実録報告。
これはこれで、楽しんで聞いてもらえそうだけど、ドーバーを挑戦する人が来るとは思えないからもっと折角だから聞いてくれた人が生活に活かせるようにするには?と考える。

時期が夏だったり、これから海のシーズン、って時なら
・ウォーターリスクマネージメントの話
なんかも良いかなと思うけど、やっぱり汎用的に活用できることが良いかな、ということで、

・目標設定とモチベーションの育て方
・目標達成に向けたプロセスの話

なんかは話せそうだ。

あとは、みんなすごく興味を持ちそうな
・強いメンタリティとイメージトレーニング
とか、
・ウェイト(体重)コントロール
とか、
・補給食と発酵食のお話
とか。
そっちの流れだと、
・農業、そして自給自足の話

ぱっと思いつくのはそんなとこですかね。
でもネタ8個。
結構シリーズでできそうだ。
あんまり脈絡が無いけど。。。

2014年10月25日土曜日

みちのおくの芸術祭

先日行ってきた、山形のビエンナーレ。
初日にまわった感じとしては、なんか、アート作品としては微妙なものが多いな、
と感じた。

今まで観た芸術祭と比較していくと、
瀬戸内、妻有、市原、山形
の順か。。

でも、その分地域に根ざすことを意識したコンセプトにして、
見学者参加型、
更には計画段階から参加していく、
そんな形態をとっていることに起因していることに気づいた。
だからこそ、トリエンナーレじゃなくて、ビエンナーレにしたんだろうなあ。









で、そんなことに気づいた時、なんか悔しいなあという感情が湧き起った。
この悔しいという感情の発露。
同い年の大三郎君や同世代の夏之介さんや宮本さんに向けられたもの。
同じ世代の人たちがこうして、行政を巻き込んで自分の住む街に自分たちの能力を使って還元しようとしている。
しかも、自分たちも楽しみながら。



この感情の根っこは、もっと前から持っていた同世代への嫉妬であったり、対抗心だったりだと思う。
例えば、荻田君がやってる子供たちへのアドベンチャープログラムだったり。。。

今までは、自分がやりたいことを自分が満足できるようにできればいい、ただそれだけで、他人に還元ってのは次のステップで、まだその境地には到達できてない、と思ってた。
それが、自分の中であっためられて、育てられて、ようやく表面化してきたんだと思ってる。
だから発露という言葉を使ったけど、機は熟したと思ってる。

でも、誤解されたくないのは、自分の満足が一番なのは変わらない。
それに加えて、周りにも何かしら還元していけたらと思ってる。
具体的には、以前から話をもらってる、セキさんの朝活で講師をやってみようと思い始めてる。

そんな思いを生み出してくれた、
圧倒的な作品にひれ伏すことよりも、何かが起こりそうな期待感やライブ感のある、
出会いが楽しい芸術祭だった。

2014年9月29日月曜日

公開中の観たい映画

ピーターブルックの世界一受けたいお稽古
聖者たちの食卓
アンナプルナ南壁7,400mの男たち
世界一美しいボルドーの秘密

2014年9月21日日曜日

最近感じていること

自分の中で決めていること、
研究者としてでも、開発者としてでも、設計者としてでも、
競技者としてでも、生産者としてでも、製作者としてでも、
世界で勝負する自信が無くなったら潔く身を引くべきだと思ってる。

部署を異動して3年。
周りに悪い影響を受けている現状、
近頃、徐々に自信が無くなってきている。

2014年9月17日水曜日

好きな歌

楽しくやりたいから
振り絞っているけど
楽しくやるためだけに
生きてない


2014年9月9日火曜日

ふらっと立ち読みして、ちょっとおもろかった記事

A:今回の内閣改造で石原氏は総裁になる目が遠のきましたね。
B:結局、石原家では良純さんが一番優秀だったと。
A:しばしば、天気もあたる

2014年9月7日日曜日

レースを振り返って思うこと

結局、闘いの場には立ったけど、勝負には参加できなかった。

200m地点の1stブイで、バトルに巻き込まれてレースをそこで諦めた。
その時点ですぐ近くにマカオで出てる安藤君がいたことを考えると、同じペースで行けばあと1分半以上ははやくswim up出来たと思われ、集団走に参加できる確率もあがり、おそらく2分以上は早いタイムでゴール出来たと思う。
その点において、代表として派遣してもらった以上、ふがいない結果と同時に気持ちの入っていないレースを展開したことに対して申し訳ない思いでいる。
いろいろ言い訳はあるけど、結果から見れば、レース序盤で諦めてしまう程度の心意気だったということだ。
改めて、しっかりと準備できた時にしか揺るがない強い気持ちは保てないもんだ、と実感した。
ただ、それを鑑みてもいかんともしがたい実力差があったことも否めない。
タイム差と実際にレースに参加した感覚、今回の結果からのタイム向上の目星を総合して考えた時に今の生活環境で世界と対等に戦うのは不可能と言わざるを得ない。

練習プランニングを生活の最優先にして、準備して初めて表彰台圏内が見えてくるレベルだと思う。
そこまでやる価値がこの大会にあるかと問われれば、自分の価値観では「No」という答えになる。
まあ、それがわかっただけで意味があったなと思う。

大学4年でトライアスロンはもうお腹いっぱいと思った時に感じた自分の感覚は時が経っても変わってなかったことが確認できた。

さあ、次のステップへ。


励ますということ

先日、知り合いの冒険家が就職活動で悩んでるらしき大学生と話しているのをなんとなしに聞いていたのですが、ちょっと面白かったので。。

「私、就職ヤバいんですけどどうしましょう~!」
「就職をしなくちゃいけない、切羽詰まった事情はあるの?経済的に家庭が困窮しているとか…?」
「ないです。」
「じゃあ、就職できなくても、別にいいんじゃない?」
続けて、
「まあ、就職できればそれに越したことはないし、良い事だし、好きな仕事を一生懸命やればいいと思うけど、もし就職できなかったら、東南アジアが好きなら行って来りゃいいじゃん。5年10年通って、その国のことに誰よりも精通して人脈でも作れたら、そのうち企業の方から「うちの会社に来てくれ」って頭下げてくるよ。いま一生懸命頭下げて「就職させてください」なんてのが、バカらしくなるかもしれないよ。(続く...)」

彼自身がまさしく一度も就職したことなく、そうやって生きていて、今や生計を立てているから、無責任なこと言ってるとも言えず、「なんかおもろい人生相談の会話してたね」と後で言ったら、彼の答えがなかなか考えさせられました。

「きっといろんな人に『頑張ればなんとかなるよ』とか『君ならできる』なんてアドバイスを盛んに受けたんだろうなあ、と思って。でも、就職できなければ悪!みたいな空気が漂っている中では、もしも就職できなかった時に励ましのアドバイスはすべて裏返る気がするよね。
『頑張ればなんとかなる』は『頑張ったのに就職できなかった自分が悪かった』
『君ならできる』は『みんなの期待に答えられなかった』
に成り得るでしょ?励ます事は良い事だけど、時に『肯定』は本質的に『否定』と変わらない意味を持ってしまう。20代の死亡原因の一位が自殺であり、その動機のかなりの部分を占めているのが『
就職に失敗した』ってのはなんか、あまりにも悲しいよね。」

主体性を持つことが第一である冒険家らしいな、と思いました。
冒険に限らず、人生の折々に待っている、多くの選択は主体的に行うべき。
いつの間にか、誰かが作り上げた幻想のような「常識」と呼ばれる固定観念に染まらないよう気をつけたい、と自戒も込めて思ったこの夏の出来事でした。

2014年8月2日土曜日

かっこいい人生にするために

このりょーちんの記事、いいね

僕も10年くらい前から、できることから少しづつ始めています。

稲を育て、野菜を育て、果物を育て、
食べられる草やきのこを覚え、
素潜り漁や罠猟のしかけを覚え、
調味料や保存食を拵え、
床を張り替え、ツリーハウスの技術を習い、
暑さ寒さに耐えられる頑強な体を作り、、、、

まあ、まだ会社にかなりの時間を提供してますけど。。。

僕も、
自分でかっこわりーと思うことを自分の人生から排除していきたい

2014年7月13日日曜日

草取りをしていて思ったこと

おたまじゃくしがもの凄いうごめいているのを見て、田植えに来た皆が無邪気に面白おかしく話しているのを見て黙っていたのは、とっても切なかったから。
昨年よりもずっとおたまじゃくしが増えていたのは、おそらく下の若井さんの田んぼで除草剤が使われてそこからあがってきているのを意味してることに気づいてしまったから。

有精卵の話が直結するからわかりやすいけど、こうやって食べ物を作る現場を知ると、不妊治療に努力してるみたいなことを訴える人たちが滑稽に見える。

あんたたち本当に切実なら自分のこれまで食べてきた、自分の身体を形作ってきたものの正当性を確認したのか、と。
残留量などで議論されているけど、例えば30年残留成分の規定量をクリアした農薬使用の作物を食べた人間の生殖能力がどう変化しているのか統計なんて存在しないでしょ?多分。
自分のこれまでの食生活をろくに反省しないまま、また科学的な治療で対応しようとするのって悪循環だよな。

その副作用はどう考えるんですか?

それから少子化を問題にするけど、誰も声高に言わないけど、中絶を禁止したら一発で解決すると思う。

なんにせよ、制度で対応できると考えてるところが人間の傲慢さの極致だと思ったりする。

2014年6月9日月曜日

なぜ?

ドーバーやカタリナに行く時も帰ってきてからも、何度となく聞かれた質問。
どんな言葉にしてみても、どれもなんだか嘘くさくて、うまく答えられない質問。
そして、時と共に感じ方も変わるかもしれないし、時間を置いたからこそ「そうか、こういうことだったのか」と自分でも真意が見えてくることもあるし、何が正解なのかわからない。

「人にはそれぞれ自分の──理屈にならない気持ちだってあるンだ!」
文脈は全然違うけど、北の国からで正吉の母ちゃんが言ってた台詞がなんとなく頭に浮かぶ。

それに言葉って、記号に過ぎなくて、”万人が共有する”言葉と意味合いの紐づけによって成立しているものだと思う。

だから、価値観であったり、紐づけられた実体験が異なれば、同じ言葉を使ってもそこに込められた意味合いって随分違うものだったりすると思うんだ。
むしろ、僕は、せっかく生きているのなら、そうやってうまく伝えられない範疇のことこそ、自分だけの体験としてやってみたい。

この記事の最後のマロリーの言葉は、自分の考えに近くて結構好きな表現だ。

結局のところ、自分も正直そうなのだけど、問われる側は必ずしも全ての人に「なぜ」の部分を理解してもらいたいとは思わないのだと思う。
自分の身勝手な考え方だけど、理解してもらおうという意思によって、ありたい自分から逸れて、他者への迎合の要素が意識的、無意識問わずに入ってしまう気がする。
それは、冒険に限らず人生のどんな行為にもあてはまるはずで、異なる価値観を持ち実践している人を見て感じる疑問のいくらかは、当事者との埋め難い永遠の隔たりではなかろうかと思う。
ただ、それゆえに否定するのではなくて、その凄さには素直に感嘆できる感性は無くさないようにしたい。

なんか整理された気がするから、これからはこう答えよう。
質問に答えてないけど。。。

2014年5月28日水曜日

聖地

先日、自分のステータスが見合うようになったら行こうと思っていた早稲田の「松下」が閉店していたのを知った。
で、腹いっぱいシチリア料理を食べたいと思って調べたら、重シェフの「アルキメーデ」が一年前に閉店してた。。。

気づいたら、行きたかったお店が一度も行くことなく閉店する。
いつまでもあると思うな親と店。



これからは行きたいと思ったお店は躊躇なく、行こう、と思った矢先。

とある場で日経レストランの編集長とご一緒させていただく機会があり、数か月後でいいならあるお店に一緒に行きましょうとお誘いいただきました。
やった。

今や、会員制、一見お断りというお店。
それでもまわってないという噂なので、もう行ける機会はなかろうと思っていた。
写真もネット掲載禁止とかなので、カメラも持たず、ただ旨いもんを味わいに。

LAST BAUS

バウスシアターのクロージングプログラムとしてやってる今年の爆音映画祭。

ようやく行ってきた。
「シガーロスINNI」
爆音だけど、シガーロスだけに音に心地よく体が包まれる感じ。
企画者の狙い通りなんだろうな。
思わず、最初はまどろみそうになった。

で、せっかく吉祥寺まで出たのでどこかで食べようと、老舗のカレー屋「まめ蔵」へ。

ルーは家カレーに近い感じだけど、それにぐっとコクを足した感じ。
ただ言い換えると、「家のカレーを時間をかけて煮込みました」と言えなくもない。
わざわざ出かけて食べるほどではないかな。

試練

南武線の朝は、想像していた以上に混み合う
乗換駅に使っている登戸は登戸始発の電車があるのだけれど、
それでも10分前に並んで座れない時がある。
いい大人たちの、あの扉が開いて、車内に足を踏み入れた途端の、幼児の椅子取りゲームのような必死さがおぞましいのだが、
今朝、そんな混み合う車中で、両隣に座っているおっさんのどちらかによって、断続的に猛烈に臭いすかしっ屁をされた。
身動きの取れない満員電車でのこれはキツイ。
2014年春、新たな試練の形を知りました。

2014年5月23日金曜日

山ちゃん会

僕が湘南から山の方へ引越したのと入れ替わるように、
2年半くらい前にOnEdrop cafeの日本酒ナイトで知り合って以来仲良くしてもらっている料理上手な姐さんが、つい最近都内から鎌倉へと居を移した。
そして、都内でやっていたように姐さんの料理を楽しむ会@鎌倉。

ビールからスタートして、


*三崎まぐろと伊豆柑橘のシーザーサラダ *そら豆ロースト ローズマリーの香り *初夏のラタトゥイユ  *にんにくおばさんの芽と鶏ナッツ炒め *鯵 *ボクサケ酒粕トースト *本日鮮魚のアクアパッツァ *イベリコ豚 *独活とブルーチーズリゾット

というラインナップ。













そして、それぞれが飲み物を持ち寄るのがルール。
それぞれお酒には一家言ある人ばかりの集まりなのでおもろい酒が集まる。
僕は先日瓶詰したばかりのボクサケ25BYを。



今までの自分にとって、あまり属することのなかった種類の集まりなんだけど、
それが新鮮で楽しい。

しかも美味しいもんがいろいろ食べられる、ときてる。

この心地よい空間は、ホストの性格と人格が色濃く出ているんだろうなあって思う。
隣で呑んでた友達が、

「やまちゃんといっしょにいると、自然と自分の引き出しがぱかぱか開いていくのがわかって楽しい」
と言っていた。

それに答えて山ちゃん。
「あなたの引き出しが開いていくのは、
あなた自身が私に心を開いてくれているから。あなたが私の新たな一面に気づくのは、私が自然体でいられる相手だから。」



酔っぱらいの言葉でも、時に美しい。

思えば、
パリマラの本多さんしかり、
モンゴルツアーの伊藤君しかり、
そのコミュニティーの雰囲気はリーダーの人格が自然と反映されて、集う人々の傾向もそこにあらわれる。
自分もひょうたんぼに集まるみんなにとって、心地よい時間と空間と思ってもらえてるといいなあ、と思う。