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2014年6月9日月曜日

なぜ?

ドーバーやカタリナに行く時も帰ってきてからも、何度となく聞かれた質問。
どんな言葉にしてみても、どれもなんだか嘘くさくて、うまく答えられない質問。
そして、時と共に感じ方も変わるかもしれないし、時間を置いたからこそ「そうか、こういうことだったのか」と自分でも真意が見えてくることもあるし、何が正解なのかわからない。

「人にはそれぞれ自分の──理屈にならない気持ちだってあるンだ!」
文脈は全然違うけど、北の国からで正吉の母ちゃんが言ってた台詞がなんとなく頭に浮かぶ。

それに言葉って、記号に過ぎなくて、”万人が共有する”言葉と意味合いの紐づけによって成立しているものだと思う。

だから、価値観であったり、紐づけられた実体験が異なれば、同じ言葉を使ってもそこに込められた意味合いって随分違うものだったりすると思うんだ。
むしろ、僕は、せっかく生きているのなら、そうやってうまく伝えられない範疇のことこそ、自分だけの体験としてやってみたい。

この記事の最後のマロリーの言葉は、自分の考えに近くて結構好きな表現だ。

結局のところ、自分も正直そうなのだけど、問われる側は必ずしも全ての人に「なぜ」の部分を理解してもらいたいとは思わないのだと思う。
自分の身勝手な考え方だけど、理解してもらおうという意思によって、ありたい自分から逸れて、他者への迎合の要素が意識的、無意識問わずに入ってしまう気がする。
それは、冒険に限らず人生のどんな行為にもあてはまるはずで、異なる価値観を持ち実践している人を見て感じる疑問のいくらかは、当事者との埋め難い永遠の隔たりではなかろうかと思う。
ただ、それゆえに否定するのではなくて、その凄さには素直に感嘆できる感性は無くさないようにしたい。

なんか整理された気がするから、これからはこう答えよう。
質問に答えてないけど。。。

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