人気の投稿

2012年12月28日金曜日

塩谷さんの記事を読んで思ったこと

本日は満月。
ドーバーの準備を始めてから、より気にするようになったけど、実際にはコメを作るようになって旧暦や月の満ち欠けを気にするようになり始めた。

どこまで真実かはわからないけど、塩谷さんの記事によると、ハザカケ用の竹や刈り取った稲わらの香り、米の食味や保存性に月の満ち欠けが関係していると言う。

だからボクサケ田んぼは、『去年から新月の日を選んで稲刈りや青竹の切り出しをしている』んだって。

今年のひょうたんぼの稲刈りはどうだったかと言うと、ちょうど満月の日だった。
今年は全体的にできの悪い年だったけど、それほど目立って食味が悪くないのはそういうことなのだろうか?

自然農法に携わる人の多くは、確かにそういうことを言う。
満月の夜はエネルギーが上に流れ、新月の夜はエネルギーが下に流れるから、新月には地中に実る根菜などを収穫し、満月は地上の実を収穫する、と。
これだけ聞くと、迷信的な言い伝えっぽく聞こえるけど、どうやらそうでもないらしい。

農作物ではなく木の話だけど、新月へ向かう時期、満月の時期に比べて、『辺材と呼ばれる部分で、カビや腐朽菌のエサになるはずのデンプンなどの栄養分が、逆に、それらを寄せ付けないフェノール成分という物質へ変わっていた』らしい。
これは、満月の時期には光合成がしっかり行われて、どんどんと辺材部で栄養分が根や幹に送られているのに対して、新月の時期にはその活動があまり活発ではなくなり、根にため込んでいる栄養分により抗菌物質を分泌しながら細々と生命維持を行っていることが推測される。

即ち、新月の時期(恐らく正確には新月の時期の準備が整った時がベストなのだろうが。。)は根に多くの栄養分が蓄えられているので、地中に実る根菜を収穫するのに適しているのだろう。
逆に満月の時期には成長部に栄養分がどんどんいきわたるので成長部にあたる果実などの実を収穫するのに適しているのだろう。

こういうことを常日頃自然に接していた人々は、経験知として持っていたんだろうなあ。

人間は産業革命以降、自然ではなく人工的に均質となるものを量産化することで、自然環境に影響されることなくいつも同じ営みができることを追及してきたように思う。

日本人にとっては、それが高度成長期に加速して今や、完全に自然とは切り離されて生きているかのように思い込んでいる。

でも、自然界に生きる動植物に限らず、人間を含む現存する生命体はこれまでの歴史の中、地球上の自然変化に適応するようにして生き延びてきた。

昨年末くらいから冬の海で泳いでいて、体脂肪が必要なところにのみ残ってついていくことで、人間の身体の適応能力に驚いた。
食事摂取や健康状態が大きな要因ではあると思うけど、ヒトラーの人体実験では生存不可能な領域に到達できたのも冬の海で準備を進めたことで、低水温の海に自分の体が適応していったという人間の体の適応能力、生命力の凄さなんだと思ってる。

こうやって思いを巡らした時、極端な言い方をすると、現代人は自分たちの作りだした世界によって、自分たちを劣化させているように思う。

オイルショックによって高度成長に陰りが見え始めた頃に生まれた僕は、どっぷりとこの世界に浸かって生きてきた温室育ちのひよっこだ。
だから、人工物を全否定するわけではないが、人工物をすべて排除したとしても生きられるそれだけの知恵と能力をもう一度取り戻して、どんな環境下でも常に自然体で生きられるそんな生き方を目指している。

2012年、ドーバーチャレンジを通じて、なんだか、新しいことを知り、ちょっとづつ自分の中にある思いや感覚を言語化できるようになってきた気がしている。
前進したと思える1年になって良かった。

0 件のコメント:

コメントを投稿