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2014年2月14日金曜日

共感

荻田君のblogに非常に共感する文章があったので、抜粋。
結構長文。

『そんなにキツいのに、なんでやるの?

誰に頼まれたわけでもないのに、なんでやるの?
と聞かれるのはいつものことですが、理由ではないのです。
「誰に頼まれてもいないのに、何で生きてるの?
 生きるのってけっこうキツいし大変でしょ。
 だったら人生やめちゃえば?」
と言われてるようなものです。

僕は自分の道を歩きたい。

その道とは、人の人生であったりとか、生きるという根本的な道な気がします。
歩く限りは、この道がどこまで続いているか、ずっとずっと先まで見てみたい。
歩く速度を速くするには、もっと成長する必要がある。
足を速くする必要がある。

足を速くするには、トレーニングが欠かせない。
成長を望むなら、あえて自分に課題を与えて、乗り越える訓練をする必要がある。
僕は北極に行くことが目的なのではなくて、実は目的は「道の先まで見てみたい」と言うことなのかもしれません。

人生という道をどこまで先を見れるか、その目的のために、北極という手段で自分自身の成長を図る。

そうすると、道の途中で大きな岩が通せんぼしている。
いま僕の目の前にある大きな岩は、北極点という岩。
道を進んで行くには、この岩を越えて行く必要がある。
決して、岩を乗り越えたいわけじゃなくて、あくまでも道を歩きたいだけ。

北極に行く理由は、こうとしか表現できないのです。』

自分にとって、共鳴する人というのは、突き詰めると同じ思いで、同じことをしている気がする。
ただ、その手段が、北極であり、未踏査の峡谷であり、未踏峰であり、超長距離のランニングであり、海峡横断であり、格闘技であり、ラグビーであり、、、と違うだけで。

『恐怖心と、不安感と、緊張感と、少しの期待感がゴチャゴチャに私のなかを行ったり来たりしています。

これから「北極」という大きな自然のなかへ入り、自然と対峙するわけですが、あくまでも闘う相手は自然ではありません。

人間は、自然には敵いようもありません。
自然に闘いを挑んでも、勝てるわけがないんです。

闘う相手は自分自身であり、折れそうな心をどうやって保ち続けるか、緊張感のなかでどうやって自分を制御して冷静に判断して行くか、メンドクサクなって手を抜きたがる自分を鼓舞してどうやって段取りを守って事故を防ぐか…。

言葉でいうのは簡単ですが、

極限に寒く、
常に死のリスクを抱えた緊張感を抱え、
毎日体力の限界近くまで自分を追い込み、
体も精神もボロボロになって行くなかで、
あくまでも客観性をもって自分自身をある一定の状態に保ったまま、
自然と対峙して行くということは、かなり厳しいものがあります。

それをやりきれるのだろうか?自信はあります。

経験も積んできました。
技術も磨いてきました。
知識も身に付けてきたつもりです。
だからこそ、自分にはやれるという想いがあります。

その一方で、

途中で突発的なアクシデントに出会い、
危機的状況になった時に対処しきれるのだろうか?
死にたくはない!
できることならいますぐ逃げ出したい!
そんな気持ちもあります。

心はコロコロ動くから「こころ」なのだといいますが、まさに今の私の心の中は、あらゆる想いが行ったり来たり、複雑に揺れ動きながらも大きなベクトルは「北極点」に向っています。』

北極の場合は、現地適応に1ヵ月ほどとるから、日本を発つのはチャレンジの1ヵ月前ということになる。
僕も泳ぐ1ヵ月前くらいがいつも気持ちが押しつぶされそうになるような感じのピークで、そこから徐々に集中して解き放たれていく感覚だった。
勝手な想像だけど、特攻隊の若者たちがすっきりした表情で、死へ向かって飛び立って行ったのもそんな感覚だったんじゃなかろうか。

今は、そんな風に思います。

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