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2012年2月8日水曜日

思いの根っこ

以前も書いたが、引っ越して一番のデメリットは通勤だ。
これまで徒歩通勤だったのが、1時間半以上の電車通勤となった。
毎朝満員電車に揺られていて思うのは、みな電車の中では朝から無表情で死んだような顔つきだということ。
ものにあふれた豊かな生活のはずなのに無表情で死んだよう。
人間が感受性豊かに生き生きとするには、欠乏感、厳しい自然環境といったものが必要なのでは無いだろうかと思ってしまう。

貧しく物がないことで人は喜びとか小さな幸せに対して感受性豊かに感じていけるんじゃないだろうか。
厳しい環境に晒されることで人は生き生きと物事に立ち向かうことができるのではないだろうか。

アジアをバックパッカーで回っていると、そんなことをいつも思う。
旅に出なくとも、ジャーニーランやブルベで1週間ぶっ通しで走ったり、はせつねなどのオーバーナイトのレースでそんな欠乏感や厳しい自然環境に放り出される疑似的体験でも同様の思いを感じられる。

人間極度の疲労や苦痛の中にいると、「やさしさ」「思いやり」に対する感度が非常に高くなる。
普段比較的ポーカーフェイスな自分も走りながらこみあげる思いに涙を流しながら走ったり、コップ1杯の水をいただいても命の恩人に相対するかのように感謝する。
そして、自分も他者に対して同様の振る舞いを自然と心掛ける。
同時に自分の中の嫌らしい虚栄心や自己顕示欲がなくなる。

一種のトランス状態なのだと思うが、僕は根がいじめっ子でへそ曲がりで嫌な奴だから、他人に素直になれる自分に出会うために肉体的に、精神的につらいことを自分に課しているのかもしれない。

日本一高いコメを作る戸辺さんをモデルにした『降りてゆく生き方』という映画があったけど、自給自足を志し、いわゆる「降りてゆく生き方」を自分が志向している根幹には無意識に素直な自分となる生き方を目指す思いがあるのかもしれない、と今朝の90分の電車内瞑想時間で思ったりしたのだ。

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